松本地区について
about Matsumoto area
松本地区の強み
農業
松本地区の農業は、特出した農産物はないものの、阿蘇山麓から流れ出る豊かな清水により美味しいお米や野菜が収穫され、地域の人たちは思い思いのスタイルで農業生活を楽しんでいます。農産物は豊富で、お米のほかシイタケ、カボス、ワレモコウなどたくさんの種類の作物が栽培されています。昔からの風習で隣近所助け合いの精神は変わらず、作物を近所におすそ分けするなど、のどかな田舎の風景はそのままです。
しかし、近年の農業人口減少は深刻で、松本地区も農地の数に対して担い手がいない状況です。そこで、狭い農地を基盤整備し農地を広げながら、担い手が耕作しやすい圃場に変えようとしています。皆さん、田舎に移住・定住して美味しいお米や野菜を作りませんか?広い田んぼで思い切り楽しんでのんびりと好きな作物を作ってみませんか?安心安全で住みやすい松本地区で明るく楽しく暮らしてみませんか?移住者交流として稲刈り体験も企画予定ですので、ぜひ参加してみてください。お待ちしてまーす。
教育
松本地区には、竹田市内で最も多くの児童が通う小学校があります。現在は、地区内から約160名の児童が小学校に通っています。小学校では、校区内の伝統工芸品である姫だるまの製作体験や、地元竹田市にも生息する国の特別天然記念物ニホンカモシカの生態や環境の問題についての学習、別府重度障害者センターとの蛍おくりの交流会等、地元の学校ならではの授業や学習をしているようです。その他、地区内には、中学校や県立の支援学校があります。日々、学校に通学する子ども達の笑顔に元気づけられています。
地域としても、街頭指導(交通安全)や小学校・支援学校との避難訓練(防災事業)など、子ども達への見守りを強化し笑顔に応えているところです。最近では、松本地区で育ったお米の収穫体験をし、新米のおにぎりをみんなで食べました。
このように、地域で暮らす子ども達にも目を向けた事業を少しずつ企画しています。
- 竹田市立南部小学校
1963年4月開校。元気のよい挨拶とピカピカの校舎が自慢です。
- 竹田市立竹田南部中学校
- 大分県立竹田支援学校
防災
松本地区では組織再編に伴い、防災と交通安全を目的とした防災安全部会を創設しました。
近年頻発している災害から命を守る防災対策や交通安全の意識を高めることを目的に、防災訓練と交通ルールの厳守と正しいマナー習慣をつけるための活動を推進しています。
学校との連携による防災訓練や各種防災士会の研修会や地域全体でも防災講演会など開催し、有事に備えています。
防災講演会で出た意見は、別添のとおりです。
- 南部小学校体育館:大分県竹田市大字君ヶ園1014番地
- 竹田南部中学校体育館:大分県竹田市大字君ヶ園1680番地
松本地区は
どこにある?
竹田市は、大分県の西に位置し、東は大分市、西は熊本県と接しています。
松本地区は国道57号線沿いに位置し、生活必需品がそろう店舗や小・中学校、JRの駅も近く、生活に不便を感じさせない環境が整っています。

自治会情報(PDF)
各自治会の情報(地域カルテ)は下のボタンから
道路整備について
- 中九州横断道路
中九州横断道路は、大分市と熊本市を結ぶ延長約120kmの地域高規格道路として、平成6年12月に計画路線に指定された道路です。現在、大分市から竹田市会々地区までは整備されています。この道路が整備されると、竹田市(松本地区)から大分市、竹田市(松本地区)から熊本市への移動が便利になります。
その他、沿道地域の産業発展、地域活性化が期待され、災害時においても信頼性のある道路として地域の安全・安心に大きく貢献されるという効果があるそうです。
松本地区においては、インターチェンジができ大分市や熊本市への通勤や出張が便利になる予定です。
また、地区内を見渡すと、買い物は、HIヒロセやコンビニがあり、ジョイフルやほっともっとも近くにあります。今でも暮らしやすい地域ですが、もっと、住みやすい地域になるかもしれません。完成が楽しみです!!- 中九州横断道路がつなぐ、
松本地区のこれから -
- 観光について
- 松本地区に観光客を誘致できる地域資源は多くないかも知れませんが、地元住民しか知らない社寺等をもっとPRしていく必要があると思われます。
- 農業について
- 令和6年度、当地域における農地の区画整理工事が行われ、約111.9haの田んぼが整備され、生産効率は非常によくなっています。ただ、稲作の他にこれという農産物はありませんが、今後新たな商品開発もできたらいいなと思います。
- 産業について
- 松本地区は、大分市と熊本市のどちらにも車で約1時間30分で移動できる距離にあります。企業誘致にあたって、受け入れに必要な水や土地の確保ができると考えられます。
- 生活環境について
- 松本地区には、大型商業施設や救急医療機関、幼稚園、小・中学校、支援学校などがあり、教育・生活環境が充実しています。また、移住希望者に向けて、現在空き家バンクの登録を推進しているところです。今後、物件の登録数が増えることが予想されるため、受け入れ態勢も整えていけるように協議を行っています。
- 最後に
- 令和6年に設立された「コミュニティ まつもっと」を中心とした地域活性化に向けて行政・地元が連携して多くの課題に取り組んでいくことが重要であると考えています。
松本地区の名所
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メンヒルと柱立神社
メンヒルは大阿蘇の造山活動で崩れ残ったとされる巨石です。付近には同じような岩が7基あるとされますが、実態はつかめません。手前の岩の高さは7.3mあります。大正時代に鳥居博士によってメンヒルと命名されました。作家の松本清張も訪れています。柱立神社は君ケ園地区内にあった五つの神社を合祀しています。大正時代に合祀の話が出た時に、メンヒルのある鶴原が選ばれたものと考えられます。鶴原地区の方たちによって清掃が行われています。
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森八幡
森八幡社は松本地区を代表する神社で、境内には社務所や宝物殿もあります。東側の壁にレリーフがあり、八幡社ゆかりの源氏鎮西八郎為朝とされています。 為朝については平安時代末期、九州にいましたがある時、騎牟礼城から弓を射ると当地まで飛んで来て松の根元に刺さり、松本の地名が起こったとされています。源為朝の伝承をきっかけに、森八幡社で弓祭りは始まりました。
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岩瀬観音堂の宝塔
集落の最上部から市道を30mほど入り、急な石段をのぼった所にあります。境内に仏像が多いのは、明治維新後の廃仏により家庭にあった物が避難してきたとのことです。
さて、岩瀬の宝塔は県指定の文化財で鎌倉時代の銘は判読できます。鉄輪温泉を開湯した一遍上人とのかかわりがあるようです。地域の人たちはこの観音堂を大切にして、草狩りなどの作業を続けています。 -
十六羅漢
国道から入り込んだ鑰畑(かぎばたけ)地区にあります。
江戸時代末期、義周という僧侶の指導で取り付けられています。十六羅漢は釈迦の弟子たちで修行を積んだ僧侶の姿とされています。当時の世の中の無情な人たちを供養する姿かも知れません。かつては子どもの遊び場であったとのことです。現在は地域の人たちによって年2回の草刈り清掃作業が続けられています。 -
ホタルの生息地
栃鶴地区の鶴原集落の周辺は、ホタルが生息する条件が整っています。
(1)岩鼻井路の美しい水
(2)ホタルの餌 カワニナがいること
これらの条件で安全な一帯はホタル観賞の家族連れでにぎわっています。竹田市にもホタル保存会はありましたが、現在は解散しています。しかし、小学生などとホタルについての学習は続けていく必要があります。そのことが自然環境を守ることにつながるため、大事な一翼を担っていきます。 -
巫女石
巫女石は森八幡社の参道脇にひっそりと佇んでいます。
巫女石は源為朝の現地妻だった鶴寿・松寿の変わり果てた姿とされています。為朝は1159年の保元の乱で伊豆に流罪となりましたが、そのことを知った松寿と鶴寿は後を追って死を選んだと言われています。
このことから源為朝と松本地区そして森八幡社とのかかわりついて、思い起こすことができます。弓祭りだけでなく巫女石についても大事にしていきたいものです。 -
渡瀬の薬師堂
薊菜自治会から渡瀬自治会に入った集落の端にあります。江戸末期文政年間の碑があります。薬師堂の建物ができた頃です。薬師如来像は金箔で塗られていておごそかな気分になります。薬師如来像の多くは座像として表現されていますが、渡瀬の薬師堂の薬師如来像は、立像である点が特徴です。古来、耳の病気を治すとされる薬師様。手にする薬の壺が印象的です。
薬師堂は現在も綺麗な状態で維持されています。これは近所の方が清掃を欠かさないからです。熊本地震などによって像が壊れた時期もありましたが、見事に修復されて参拝者を迎えています。 -
松本地区の二つの滝
(1)榎ケ滝(下の滝)
音羽集落手前、矢倉川沿いにある倉庫の下にあります。市道から落水の音が伝わってきます。(2)芭蕉ケ滝(上の滝)
下矢倉自治会の集落を通り過ぎると、松円地区に行く脇道があり、その道沿いの人家の庭に大きな芭蕉があります。これからの命名でしょう。井路の取水口にもなっているため、田んぼ沿いの道を通る方法のほかに、井路に沿って進む道もあります。